スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • -
  • -
  • -

たぐる夜

島津

久しぶりの再会だ。

島津だ。

いろんな場面を一緒に見てきた奴とは、何時間、何ヶ月という時間を隔てていても、ほんの数秒前の出来事のように会えなかった時間の出来事を持ち寄って時間を縮めることが出来る。

いくつかの理由があり、若干23歳にして家主になった彼は、多忙だ。
仕事で帰宅が遅い。
できるだけ財布と健康のことを考え、外食はひかえるようにしているそうだ。

酒と島津

なんやねん、おまえは。
体つきを見る限りは、フィクションの匂いがかぐわしいじゃないか。
おら、もういっちょ。

プーと島津

なんだね、その腕の太さとTシャツの奥に見え隠れする肉は。

久しぶりに会えば、酒飲むは、夜食食うは、一歩先行くエロ話をするは、将来の話をするは、愚痴ぶちまけるはで楽しくてたまらん。

こんなことをして、朝を迎え、昼飯を殿様ラーメンで食う。
島津の通勤路にあり、本人は、たまに食べたくなって入るらしい。

僕が食べたのはこれ。

一押しのチャーシュー麵

ぜんぜん辛くない。この色であっても全く辛くない。
福松しかり、この味はたまに食べたくなる味に間違いない。
今度は、大盛りにしよう。

そうして、また一つ島津の体は蝕まれた。

また、いくさ。そして、また、世を明かそう。

ほら、世界は希望に満ちている。

君がいてよかった。


今日の一曲
夢のかけら/エレファントカシマシ
                                     ほ

ただ、君を待つ

聞きたくもないニュースをつれて母校が茶の間に突如現れる時代。

地方新聞には、もちろんでかでかと載る始末。

大手企業、教育現場での不祥事が相次いで報道され、世情は空賑わっている。

困難なことだが、僕らには、正しい情報とそれを見極める能力があればいい。

ただ、手垢のついた母校が取り沙汰になった時、そこに冷静さはない。

もう、興味本位そのものだ。

大して古くもない校舎が寂びれて見えた。

“失う”ということが理解できた気がした。


今日の一曲
太陽/森山直太朗
                                     ほ

逆方向

今週になり、寒さは逆戻りじゃないか。

絢香のおかえりを歌いながら部屋に戻る僕はどうだ。

サビの頭しか知らない。

口寂しくなると、おっかえり〜あ〜いむほ〜むを繰り返す。

今週になり、寒さは逆戻りじゃないか。


今日の一曲
おかえり/絢香
                                     ほ

wordpray

今日は、朝から体が重たかったので、あまり活発なことはしないまま時間がながれた。

昨晩の仕事仲間との飲み会の副作用だ。

トータスの新曲を聴いたり、The Threeの裏切り御免!を聴いたり、ギターを弾いていたりの一日だった。

最近、熱を上げているのが嵐である。彼らいいよ。おじさん夢中だよ。おじさんは大野君がいいよ。彼は個展とかも開くらしいじゃないか。おじさんはいいと思うよ。ガツガツきてよ。

話題をかえよう。

音楽活動をする上で(・・・近頃はしてねぇけどな)、尊敬して止まないアーティストは多々いる。その中でも最も指標としているのが、JASON MRAZである。

「生活」と「言葉」をテーマに音楽というものをやろうと決めたのには、この人の曲の要所要所に使われる技法“wordplay”つまり“言葉あそび”に魅了されたからという経緯がある。

だから、この館のURLには、wordprayという文字が含まれている。

このブログの前にやっていたホームページのURLにもその前のHPのそれにも、すべてにwordprayとつけてきた。
おい、ちょっと待て、つづりを間違えているのではないのかと気付く人もあろう。

本来の「word(言葉)」+「play(遊び)」のワードプレイの音に乗せて、「word(言葉)」+「pray(祈り)」とした。

言葉に祈りをこめてという意味でこうつけた。

一つ一つの言葉の組み合わせで、世界は大きく変わると感じている。

多くの言葉を知り、使いこなす人にあこがれる。僕にとっては、こういう人が大人だ。

小さいときから、本を読めと言った母の言葉が響く。

明日は母の日。

言いつけを守ってみよう。

                                     ほ

遮光カーテン

五月。
GWも終わり、日中の日差しは、強くなるばかり。
目前には、梅雨が待ちうけるが、夏への歩みを確実に進めている。
今年の夏もおそらく暑い。

朝方、仕事から自分の部屋に帰ってくると、これでもかというぐらいに光を取り込んでいる。わたしゃ、今からこの煌々とした中で寝るんだよと。おまけにセミまで鳴きだす始末だよと。あんたどうするのよと。

そんな悩みを解決してくれるのが、


遮光カーテンだ。


会社の寮住まいの為、そこらへんは考慮されており、どの部屋にも標準装備になっているのだ。



光とは、温かみの象徴だと思う。

帰る家に明かりが灯っていれば安心感を持つように。
殺伐とした夜道に、街灯の一つがあるだけで安堵感が得られるように。

ただ、それは、失って得られる安堵感もあるということを教えてくれる。

八畳の間の半分は、遮光カーテンをしていない状態にあり、明暗がくっきりと別れている。明暗の境界線をベルリンの壁と呼ぼう。

こんなもん、明らかに暗い方の領域にいるからこそ生まれる思想だ。
さぁ、この壁を越えて食堂に晩飯を食いに行こう。

                                     ほ

チャガピン

今日実家で、スタメンじゃないほうのギターを触っていたら、ギターケースからだいぶ前に書いた詞が出てきました。
あと、ジミヘンの写真も出てきました。

タイトル:「不器用(仮)」
     「つまようじと軽トラ」
     「つばめ」
     「あのね」

タイトルを見ると今と比較しても全く成長してません。
中には、曲を付けたものもあるのですが覚えていません。
詞には、前向きさと社会への憤りがふんだんに詰め込まれていました。

今の感覚で曲を付けて、7年ほど前の自分と共同制作をしようと思い、ギターを弾き始めたのですが、やめました。







そっとしとこう。
                                     ほ
  

失敗

長い時間を費やして書いた日記が消えた。

長編大作だった。



こんなのになった。

                              ほ